雨あがりの虹が大好きだった。 わたしは夢。 神崎夢。 わたしのお父様は製薬会社の代表取締役。 わたしはお父様につれられて、社交の場に出かけるのがすきだった。 社交の場−パーティは、綺麗なドレスや、輝く宝石、 そしてめくるめくユメのような時間をわたしにくれた。 彼にはじめてあったのも、そんなパーティのひとつだった。 なんの会かはもう昔過ぎてわすれてしまったけど、 あのときあたしは真っ赤なフリルのたくさんついたドレスをきていたの。 あの人は黒いタキシードをきていて、小さなふたりはとてもお似合いだった。 まだ少しわたしの方が背がたかくて、 たかがひとつしか違わないあの人を随分弟扱いしたのを覚えてる。 会場の絨毯にそのまま座って、たわいもない遊びをしたわ。 そして最高の笑顔で微笑むわたしに、彼は求婚したの。  あなたを世界で一番しあわせな女性にします ってね。 今となっては霞んだ想い出。 彼にとってもわたしにとっても、思い出したくも無い最悪の記憶。 それから10年ほど、わたしたちの幼馴染としての関係は続き、 あの日まで、わたしたちは互いにひかれあっているものだと感じていた。 うっそみたい。 わたしは20歳。 既にアメリカの大学をでて、博士号をとり 父の会社に貢献しようと実験の日々をおくっていた。 わたしの専門は遺伝子工学で、とくにラットを用いた実験に 力をいれていた。 小さいころから体が弱くて、病気ばかりしていた自分自身のためにも わたしは多くの病原菌と、遺伝子との関係をしらべあげた。 いつのまにか、わたしは男たちのなか、ひとり異物のように存在していた。 女のクセにえらそうに、女だてらにでしゃばるな。 そういうジェンダーの文句は耳にたこ。 情けない男たちの小言にわき見もせず、もくもくと働いた。 わたしはひそかに超能力についても研究を進めていた。 科学が絶対の時代に、ひとつだけまるで御伽話のような存在。 小さいころにユメみた不思議な力を、 マジック以外の方法で再現してみたかった。 わたしは一個人の趣味として、研究をつづけるつもりだった。 人体にかくされた多くの謎を、自分のおもうように紐解いてみたかった。 しかし、そうは問屋がおろさなかった。 5年ぶりくらいになるのか、 突然怜人がわたしのまえにあらわれた。 小さいころの無邪気な顔とちがって、知的な大人の男になったと思った。 怜人はわたしに彼の研究を手助けするよう頼んだ。 わたしは考え抜いたすえ、2年の間という条件つきで、 彼の新しい研究所で勤務することにした。 だけどわたしはまちがっていた。 すずしい顔の裏には、知的さだけがかくされているわけではなかったのだ。 5年ぶりの幼馴染はみるかげもなく、冷酷で残虐な支配者と化していた。 もしかしたら、それが本当の怜人だったのかもしれない。 だけど、先にあのあどけない笑顔の彼を知っていたわたしには とてもしんじられない光景だったのだ。 わたしは2年もの間、怜人の狂ったような人体実験につきあった。 しかしただながされていたわけではない。 嫌なこと、間違っていると思えることは全力で否定した。 最初は苛立ちをみせ、わたしに敵意をみせる怜人だったが、 しだいにあきらめ、耳を貸すことさえなかったが、 わたしに多くをまかせるようになってきた。 わたしはこの劣悪な人間環境のなか、ひっしに自我をもちつづけた。 正義をかざし、いかに偽善とののしられようとも、 けして人道にそむくことはしなかった。 わたしは得意になっていたのかもしれない。 わたしの必死の態度が怜人のこころをうごかした。 そう、かんちがいをしていた。 実際は、怜人はわたしのみえないところで、 さらに非道な実験をくりかえしていたのだ。 このことをわたしがしったのはその実験がおわった随分あとのこと。 契約の2年間はあっというまだった。 あたえられた私室をふりかえると、床にまるでゴミのように 家族からの手紙がうちすてられていた。 なかにはまだ封をきっていないものもたくさんあった。 わたしは怜人のいる所長室をたずねた。 わたしは他の研究者とちがって、自分の意思でここに来た。 わたしがこの先ここから出て行くことも ここにとどまることも、それはわたしの自由だった。 所長室には別れをつげるためにやってきた。 この二年間をふりかえり、わたしは多くのことを学んだ。 それはつらいことばかりだったけど、きっとわたしの糧になっている。 糧はつぎにいかすためにつちかうものだ。 わたしはまた自分のための研究をつづけようとおもった。 神崎夢− この名に恥じぬ、人道を貫きたいと、そうおもった。 怜人はいなかった。 研究室や、会議室・食堂や大浴場までみてまわったが 彼の姿はこの施設のどこにもなかった。 わたしはデスクに辞職届けをおいて、少ない荷物をまとめた。 2年間の地下生活からやっと解放される。 わたしは地上へとつながる階段をゆっくり、しかし確実に登りつめた。 久しぶりの太陽はまぶしく、草木にはまばゆいばかりの雨露。 通り雨だろうか、晴れた青空に大きな虹が弧を描いていた。 突然背後から名前をよばれて、あわてて振り返った。 そこにはめずらしく怪我をした怜人と、幼い少年がたっていた。 わたしはすぐに直感した。 怜人のうれしそうな表情、少年の悲壮− 握られた手からはひしひしと違和感を感じる。 こういうとき、女のカンは負けをしらない。 そのこは? わたしの問いに怜人はこたえない。 まるで捨て犬を拾ってきた子供のように、 怜人はわたしと目をあわせようとしない。 この時わたしはわかってしまった。 わたしは怜人の幼馴染でも、同僚の研究者でも、一人の女でもなく ただただ、彼をみまもらなければならない保護者なのだと。 怜人はわたしに女をのぞんだのではない、 おそらく、おさないころ死に別れた母親の面影を、 本人さえも無自覚のうちにわたしに思いよせていたのではないか。 わたしはここに残ることを決心した。 そして同時に理解した。 この家に必要なものは恐怖でも進みすぎた科学でもないと。 この家に、怜人やここの研究員に必要なものは、 人として愛されること、人を愛する喜びをしることだと。 どんなに時間がかかってもいい。 わたしはこの研究所を、ひとつの家族のように、 皆がわらって、互いを信じあい、愛し、なぐさめあうことのできる、 明るく、素敵な家にしよう。 わたしは、悟った。 あのこに、怜人に必要なのは、 叱っていなしてくれる優しい母親なのだということを。 act.4 I am a Scientist. fin to be…