この大雨をもってさえ、僕の心を洗えはしない。 ここが創設されたのはもう40年も前の話。 先の大戦が終わり、のこったのは焼かれすすけた町と、 親をなくした子供たちだった。 同じく大戦で妻と一人息子をなくした実業家が一人。 行き所の無い子供たちをあわれに思い、 この孤児院「雛の家」を創設した。 たくさんのこどもと、彼らに未来をたくした数名の職員。 笑いのたえない ほんとうにひとつの家族がつどう家のようだったと聞く。 でもこれは40年も前のはなし。 うかれた偽善の昔話などどうでもいい。 結局実業家は過労で倒れ、経営をよぎなくされ苦しんだのは 年長の子供たちだったという。 僕に「雛の家」の存在を告げたのは祖父だった。 祖父は優しく・おおらかで、すさんだこの僕すら気にかけてくれる 甘く、弱い人だった。 経営者もおらず、経費もままならない状態の汚い施設がある。 この僕に、その施設の新しい所長となり、資金援助をしろというのだ。 たしかに広い私有地、耕すに都合のいい地盤。 僕の野望を実現するにはとても好ましい場所だった。 この僕にかなえられないことはない。 そして、変えられないことなど何一つとして存在しなかった。 僕はすぐさま施工を呼んだ。 周りをすべて防音布でおおい、2年にわたる歳月をかけ作り上げた。 僕だけの「雛の家」を。 もうこの施設に慈愛などと、腑抜けたものはない。 あるのはただただ、美しさを兼ね備えた恐怖だけ。 僕は感謝された。 地下深くに巨大な研究施設をつくり、 多くの研究員を集め、たくさんのすばらしい芸術たちを収容した僕の家。 その上に、景観のいい小さなあばら家をカモフラージュにたてただけ。 僕はにっこりわらっていった。 グローバルデザインですよと。 地下への入り口は裏の墓地。 戦争で死んだ者の亡骸をひっくり返し、全てコンクリートの材料にした。 僕には他人に血涙をそそぐほどのヒマはない。 工事がおわれば過去の住人には早々立ち去ってもらうつもりだった。 そのことを彼らに告げれば混乱が起きることは目に見えていた。 僕は無駄なことはしない。情けなど時間の無駄だと知っている。 僕はかれらに発明したばかりの生物兵器をひとつずつ与えることにした。 直に彼らは原因不明の病におかされ、 ひとつ、またひとつとベッドをあけた。 まさに僕のシナリオどおりに。 そしてその空いたベッドは、共に働く科学者の家族に、 たしか最初は僕の研究に賛同しなかった理学者− 奥さんを撃ち捨てて、その娘に孤児院の生徒のポストを与えた。 こうして、昔の孤児は全部、僕の支配のボタンになりかわった。 5年あまりをこの「雛の家」の再構築についやしていたある日。 僕はついに望んでいたものにめぐりあうこととなる。 僕には 時々かんしゃくを起こすクセがある。 そのときばかりは周りが全くみえず よく無意識のうちに大事なものをめちゃめちゃに壊していた。 あの日もそうで、実験が失敗したときだった。 きがつくと、部屋の中はめちゃくちゃ。 僕の横には長年つれそった学者が浅黒くなって死んでいた。 僕は常に完璧でいたかった。 その学者が抜けた分野をすぐにでも埋めてしまいたかった。 すぐさま僕は神狩という医者のところにむかった。 過去、学会で一人者といわれるほど、その分野に詳しい男だった。 無精者で、汚らしくいけすかない男だったが 明るく豪快でどこか魅かれるところもあった。 今はたしか業界をさって、田舎で町医者をしているはずだ。 呼び鈴を鳴らし、ドアがあくのをまった。 すでに手下を数名いれておいたので、 とらえられた状態の彼と対面するはずだった。 しかし、ドアをあけたのはその家の子供だった。 意表をつかれた僕に少年は刺さるような視線をぶつけた。 その目に僕はうごけなくなり、同時に高い高揚を感じた。 部屋は真新しい血しぶきでいろどられ、白い部屋に 黒いセーターを着た少年だけが、その空間からきりとられたように存在する。 その青黒い瞳は強大な力を宿し、僕すらひきずり込もうとしている。 やわらかそうな髪が煌々たる怒りで逆立ち、空気を震えさせる。 その飄々たる姿は、僕の全身に鳥肌をたたせた。 僕は少年にそっと手を伸ばした。 と、突然、後ろから男が襲い掛かってきた。 「俺の子供に手を出すな!」 それはまぎれもなく今日僕の会いたかった人物だった。 しかし、もうそんなことはどうでもよかった。 僕は男のみぞおちに肘を埋め込むと、よろけ離れた男に銃を突きつけた。 「父さんっ!」 少年が身を乗り出す。 情とは実に扱いやすい。 「少年、それは君がやったの」 僕はあごで無様に床に倒れた部下を指す。 「死んじゃいないよ」 少年はまっすぐ僕をみすえている。 恐怖の色は声からも表情からもかんじられなかった。 僕は父親から銃口をはなし、少年ののど元に向けた。 「僕と一緒においで」 「いやだ」 間髪いれず少年は拒絶した。 僕にはわかっていた。少年が拒否することも。 どうすればイエスといってくれるのかも。 「そう、残念」 振り返って父親の太股に一発ぶちこむ。 悲鳴とともに父親にかけよる少年の襟首をつかみ、 家の壁にたたきつけた。 「断末魔までききたいか?」 あの時の少年の顔を、僕は今でもわすれない。 まだ幼さの残る中にとても強大な力を秘め−… 恐怖に物怖じもせず、ただ僕をひとつの憎しみの塊と映すあの目。 それだけで射殺されるような凶器の瞳と まっすぐで純粋な殺意に、僕の心は再び躍動した。 「…どうすればいいの?」 少年は立ち上がって服についたほこりをはたくと、 無抵抗をあらわした。 「一緒にくるんだ、そう…」 僕は少年の頭に手をのばした。 とても愛しいものにするように優しく愛撫した。 「琉涙…!!」 「博士、君には僕の研究の手助けをしてもらいたい。」 地面に無様になだれこんでいる父親に再び銃口をむける。 「穂橋怜人…あんたの うわさは聞いて…る。」 男の足元にできた血だまりが、すこしずつ赤土を覆っていく。 「それはどうも」 僕は少年を自分のほうに引き寄せた。 「っ俺はあんたのそのやり方がきにくわねぇんだ!  息子は関係ないだろ、放してくれっ」 「…僕は君の偽善的なところが好きだよ、滑稽で。」 しだいに男の息切れがはげしくなる。 意識が朦朧としはじめたことは明確だった。 「…あんた 大事なもの…無…のか?」 不思議な男だった。 「あんたの目の前にあるじゃないか。」 男が不思議な顔をする。 「僕の大切なものは、このこだよ」 みるみるうちに男の表情が険しく変貌した。 腹のそこからしぼりだした雄叫びとともに、 最後の力で僕に飛び掛る。 飛び出そうとする少年を片手でおさえ、 僕は引き金をひいた。  パァン 軽い音と共に、男が一人 散り絶えた。 僕に大切なものなんて、いままでそれは 野望以外にありえなかった。 でも僕は出会ってしまった。 こんなにも凛と美しく、こんなにも気高い強さを持った少年に。 そして僕は呼び起こしてしまった。 少年の中でずっと眠っていたとてもすばらしい力を。 かつて男だった塊が、被弾した反動で、血だまりに落ち着いた。 跳ねたしぶきが落ちる夕日を反射した。 「残念だよ」 なぐさめの言葉をかけて、ふと何かとんでもない気配に気づいた。 みると少年からものすごいエネルギーの放出があった。 僕は何がおこったのかわからずあまりの威圧感と迫力に 後退せざるを得なかった。 ぞくぞくと背筋が凍り、冷たい汗がこめかみを伝う。 すばらしい! こんな完璧なモノがこの世にあったなんて… ものすごい勢いで湧き上がるエネルギーに僕は身震いした。 興奮で震える手をまっすぐ少年にのばす。 途端 僕は吹き飛ばされた。 僕の体は家のドアに打ち付けられ、 扉を壁からもぎとって一緒に室内にたたきつけられた。 「兄ちゃん!」 白くて小さいものが僕の横を走り去った。 白いワンピースドレスをきた4,5歳ほどの幼女だった。 幼女は僕のときとはちがって、何の困難もなく少年に抱きついた。 見る見るうちに少年の力の放出はきえ、少年は正気をとりもどした。 「アイリ…」 「兄ちゃんっ、ダメ」 少年はとてもはかない表情を妹にむけた。 「アイリ ごめん… 俺のせいで父さんが」 「…兄ちゃん」 そう、僕に不可能はない。 運命、もしくは神というものが本当に存在するとしたら、 僕はそれらをも自由にあやつれるだろう。 ズキュン 生物兵器の入った針が幼女の柔らかい肉にうずまった。 「アイリっ」 くずれる幼女を少年は必死に受け止めた。 「少年」 僕はボロボロに汚れた上着を脱ぎ捨て、少年に歩み寄った。 「何をした」 ぐったりとする妹を腕にだき、少年は僕をみつめる。 「君は僕と来るんだ。」 僕にここまでさせたのは少年がはじめてだった。 ここまで欲しいと思ったのも少年が初めてだった。 「おいで。そうすれば君の大事な妹は死なずにすむよ」 「俺からアイリまで奪うの」 「君が僕のそばにいてくれれば、奪いはしないよ」 交渉成立   僕の勝ちだ。 act.3 First Contact fin to be…