「黒の自分」

大きく息をすった。
んっと口を噤んで一歩前へ出る。

教室のドアを開けるとオレンジの光りが目を刺した。
夕日を眺めるあいつだけが黒く、切り絵のようだった。

「山橋!!」

ため込んだ空気を音と共に一気に吐き出す。
山橋はゆっくりと振り返りニコリと力無い笑みを返した。

「よく僕がここにいるってわかったね」

「っ…なんであんなことしたんだ?!どうみてもあれはっ」

「会長、今どんな様子?」

「どんなって…おまえは自分の心配だけしろ!!」

今日の放課後、ほんの一時間ほど前のことだ。
山橋は同じクラスの片桐裕穂の目を刺した。

「失明するかな…?」

そういってコロコロと笑った。
教室の床に落とされた山橋の影にぞっとする。
こいつは後悔なんてしていない。

「今は病院で安静にしてる。俺が知ってるのは…それだけだ」

押し殺すように言った。
胸が苦しかった。
本当は、知っている。
会長は、片桐は失明した。
保健医がそう言っていた。
でも言わない。自分の口からは言えなかった。

「…もう少し遊んでやればよかったかな」

「山橋!!」

山橋は楽しそうだ。
いたずらに笑い、俺を流し目にみる。
もう俺の知る山橋ではなかった。
もしかしたら最初から、転校してきたあの日から
俺たちにみせてきた山橋は偽りのモノだったのかもしれない。

でも俺は、どんなときでも皆に優しく
おおらかで、でも決して誰にも屈することないこの男を
頼もしく、好ましく思っていた。

男女とわず、クラスメートがいつも山橋を取り巻いた。
山橋はクラスの人気者だった。
彼を慕わないヤツなんていなかった。

それがこんなことになるなんて…。

「不思議だよな〜…」

不意に山橋が口を割った。
俺はドキリとした。

「優しく、人当たり良くしておけば みんな寄ってくる。
僕の望む望まぬに関係なく…ね」

この言葉を聞くのは二度目だった。

「…やめろ」

山橋はくすりと笑って俺の肩に手を置き、先を耳打ちする。
この先の言葉もすでに聞いていた。
あのときも、山橋は俺のすぐ横でその言葉を吐いたのだ。

「望んでも、決して好かれないヤツもいるのにね…」

あのとき、何も見ていない瞳を片桐に向けたまま、
薄笑いをして先を続けた。

『望んでも、決して好かれないヤツもいるのにね…』

最初、突然人の違ったような山橋に
俺も片桐もかたまったままだった。
ただ訳もわからず、山橋の紡ぎ出す言葉を
まるで呪文のように、ただ聞いていたのだ。

最後の台詞が片桐本人を示すものだときづいたのは
顔を怒りで真っ赤にした片桐をみたときだった。

片桐は、俺の隣に並んでいた山崎に飛びかかった。
胸ぐらを掴み校舎のざらざらした壁に叩きつけた。
ザリっと、学ランのこすれる音がしたかと思うと、
大きな叫び声をあげ、片桐が地面に崩れ落ちた。

俺には両者を止める隙も、起こった事を把握する時間も無かった。

ただ、顔半分を赤く染めた片桐と、
ボールペンを片手に悠然と勝ち誇った笑みを浮かべる山橋を
交互にみやった。

『こんな所にペンなんて差し込むもんじゃないね』

山橋は血の付いたボールペンを学ランの胸ポケットに差し込むと
こわばった俺の頬にキスをして、校舎の影に消えた。
幼少をアメリカですごした山橋にとって、
それは別れの合図だったのだろう。

「お前は…だれなんだ?」

おかしそうに机と机の間だを闊歩していた山橋が動きを止める。
聞いてはいけないことのように感じた。
でも聞かずにはいられない、何かがあった。
今の山橋は、明らかに俺のしらない誰かだった。

山橋はきょとんとしていたが、すぐに笑みを戻して言った。

「僕が誰かって…?誰でもいいよ。
 …僕が僕以外の何かになれるなら…」

「自分以外のなにか…?」

俺は息を呑んだ。
山橋の、同い年の少年の考えていることが解らない。
解らないことこそが、本当に果てしなく恐ろしいことに思えた。

「僕は会長が好きだよ」

片桐は、生徒会長をしている。
ただ、それは人気や実績でなったものではなく、
父親の学園側への寄付と圧力の賜物だった。
片桐は、ときたま親の永劫を笠にきて
全ての物事を自分の思い通りにしようとするところがあった。

だから多くの生徒は彼を嫌っていたし、関わり合いを避けた。
もちろん俺も例外ではなく、さして被害を受けた訳ではないが
同じクラスになっても、話しをしたことはほとんど無かった。

反面、山橋は転校してきてすぐにクラスの輪にとけこんだ。
片桐にはそれが気に入らなかったのだろう。
なにかと因縁をつけては山橋にからんでいた。

「あいつは、我慢ができないんだ。だから感情をすぐ表にだすし、
やりたいことは周りの迷惑も考えず実行する。」

「…だから刺したのか?」

「話しは最後まで聞かなきゃ」

右手の人差し指を立て、俺の口にあてた。
俺はそれを跳ね退け、一歩後ろに下がる。
俺の恐怖の表情を見て、山橋はふふっと笑って続ける。

「羨ましかったよ。自由なあいつが。
僕はどうも、気を遣いすぎるんだ。
だから猫被ったり、人に優しくしたりする。
人に嫌われたくないという一心からね。」

「片桐は嫌われていたぞ…」

「もちろん解っているよ。そのことは、あいつ自身もね。
ただそれでも、あいつは自由を貫いた。
あいつは自分をだしても許される人間だから。」

「…許されない人間なんて」

「居ないと思うか?」

俺は頷いた。
山橋の言いたいことがさっぱりわからなかったが、
自分をだせない…それは悲しすぎると思った。
もし自分が大好きなサッカーの話しをしてはいけなかったら…
好きなモノを好きと言えなかったら、それはとても辛いことだ。

「会長は、許されるんだ。黒の自分を持っていないから。
 自分をどれだけ出したって、被害はたかが知れてる。
 会長ができることは許されることなんだ。」

「許されるもんか!悪いことは悪いことだろ?!
絡まれるのが嫌だったら言い返せばいい!!
時々は殴り合ってでも闘えばいい!!
拒んだって構わないだろ?!お前が我慢する理由なんてないじゃん!!」

「ふふっ…僕が自分をだせないのはね、
それだけじゃ終わらないからだよ。
ついうっかり本音をだしてごらん、今日のはまだ可愛いほうさ」

俺は片桐の血まみれの顔を思い出した。

だんだん解ってきた。
山橋が何を言いたいか、
自分をだすことが許されない人間のことが。

「僕はくろいんだ。心も頭の中も真っ黒。
汚い言葉でうまっていて、それを吐き出すことも許されず
どんどん内にたまっていく。
次はそれが今日みたいな行動の原動力に変わる。
何かを、気に入らなかったらメチャメチャにしてしまう。
気に入ったってメチャメチャだ。」

山橋は趣味のあわない人間の中に一人、
好きなことを話せず、やりたいことをできずに生きている。
話すと引かれる、やると嫌われるといった想いから。

少数派の劣等感が、彼をどれほど苦しめたことか…。

「ときどき、偽りの自分に嫌気がさすんだ。
どうして自由に話せず、動けないんだろう…てね。」

「でも…それは誰にだってあることだろ?
多かれ少なかれ誰だって人や場所を選ばなきゃいけない。
きっとそうやって社会は安定してるんだから。」

必死に説得しようとした。
言葉も選ばず思ったことを口走った。
だれでも表にだせない裏の自分はある。
一人じゃない…そういいたかった。

急に山橋の目つきが変わった。
いままでのうつろな目とはちがい、
今度はガッチリと感情がこびりついている。
怒り、憤りの感情だ。
眉間にシワを作り、俺を肩から黒板に押しつけた。

「痛っ…!!」

「僕は社会の安定なんて望んでない!!
 だからって戦争だって望んじゃいない!!!
 好きなことを好きなだけやることが、どうしてできないんだ?!
 きれい事は聞きたくない。誰にでもあってたまるか!!」

そう吐き捨てると俺を押さえつけていた手を荒っぽく離した。
肩で大きく息をしている。

「…山は」

ゴッ!!

山橋の拳と黒板が大きな音を作る。
拳は僕の左目の横に落ち着いていた。

「誰も、解ろうとしない…」

そう言った山橋の顔は、今にも泣き出しそうだった。

「…そうじゃない、お前がわからせるんだ。」

俺の言葉に、山橋は黒板から拳を引き上げ
俺の両手首を掴み顔の横まで持ち上げた。
黒板に押しつけられた手の甲がボードの冷たさを吸収する。

「崎本…ここには誰もいない」

いつもより、低く通る声だった。
さっきの高ぶった声とも違う。
三つ目のヤマハシ。
落ちかけた日が山橋の顔半分を黒く染める。
また片桐の顔が浮かんだ。

「…だからどうした。俺と、喧嘩でもする気か?」

最後の日が山橋の顔もう半分をオレンジと青にわけた。
尋ねられた山橋は、フルフルと首を振って笑みを浮かべた。

「デッド オア ライブ。」

そう言うといきなり俺の左肩をはずした。
ゴキっと鈍い音がして首筋に痛みが走る。
俺は小さく呻き、山橋から逃れようともがいた。

「さっきの続きだ、崎本。今度は最後まで遊ぼう」

ニヤニヤ笑いながら山橋は俺の両腕を放した。
左腕がだらしなく垂れる。

今の山橋は、クラスでの穏やかな彼でもないし、
片桐の目をつぶしたときの、冷血なヤツでもない。
ただ、殺戮を楽しむ獣のような目をした巫山戯たヤツだ。

「おまえ…」

俺は山橋の懐に蹴りを一発入れた。
肩に軽いショックがかかる。
山橋は机になだれ込み、床に尻餅をついた。

「俺はお前と殺し合いするほどバカじゃない!!」

そう吐き捨て教室の出口に向かう。
ガタガタと机どうしのぶつかり合う音がしたかと思うと
俺は体勢を崩し、床に倒れ込んだ。

山橋が俺の右足を掴んだのだ。
上半身を起こし、山橋をみる。

「どこに行こうってんだ?崎本」

しっかりと俺を見据え微笑む。
左手で俺の足首をがっちり掴み、
右手でズボンの裾を捲し上げた。
胸ポケットのボールペンが見あたらない。

急いで山橋の手をふりほどこうとした。
自由な左足で床を蹴り、右手でドアを掴む。
叫びながらありったけの力を振り絞った。

いやだ、足だけは…!!!



俺が目を覚ましたのは、辺りがすっかり暗くなったころ。
病院のベッドの上に学ランを脱がされた格好で寝かされていた。
左肩は、痛みすら残るもののきちんと固定されている。
隣には母親がいて、気がついた俺に飲み物を促した。

起きあがろうとしたとき、右足に激痛が走った。
慌てて掛け布団をはねのけ、ズボンの裾を上げる。
無惨に変形した俺の利き足が

…あるわけなかった。

そこにはいつもどおり、ソックスのお陰で
日やけせずに真っ白なままの俺の右足があった。

ホッと溜息をつくと、病室の入り口からスーツ姿の男が二人、
警察手帳を見せびらかせて入ってきた。
俺は彼らよりも早く言葉を紡ぎ、片桐の安否を聞いた。
男達は母に会釈すると手帳をぱらぱらとめくり、
いかにもといったゴツめの男が厳格そうな声で話し出した。

片桐はどうやら手術をするらしい。
大学病院の眼科に入院するそうだ。
後から聞いた話によると、手術は成功。
海外の有名医に行わせたらしい。
刑事は俺が片桐をすぐに保健室に連れて行ったことを
褒めてくれた。

愛想笑いを返し、山橋のことを聞いた。
少年院か…あるいは精神科か…。
それともあいつは、無事逃げおおせたのだろうか。

初老の男はゆっくりと口を開き、驚くべき言葉を吐いた。

「山橋幸人(ゆきと)君は、校庭の校舎脇で死んでいました。」

一瞬目の前が真っ暗になった。

俺の肩をはずし、殺し合いを所望した殺戮者が、
片桐の目を刺した、大きな悩みをもつ少年が、
一緒に時を過ごしたクラスメートが…

俺は言葉を飲み込んだ。
ただうつむいて、そうですかと言うことしかできなかった。

刑事は、片桐と同じ方の山橋の目に
凶器になったボールペンが刺さっていたこと、
山橋が教室の窓から飛び降り自殺したこと、
出血多量が原因のショック死だということ、

最後に、死に顔は笑っていたことをゆっくりと、
機械的に告げた。

後ろの刑事は、俺に詳しい事情を聞きたいようだったが、
前の方はまた日を改めてと言って、
その日二人は引き上げていった。

その夜、俺は夢を見た。
薄暗い教室で、山橋に右足を捕まれる夢だ。
夢の中で俺は、左足で山橋の顔を思いっきり蹴った。
何度も何度も鼻や口から血がでるまで蹴り続けた。
山橋は俺の足を両方掴むと、ズルズルと窓の方へ引きずっていく。
引きずられる途中、俺は倒れた机の間だからボールペンを拾った。
山橋は俺の片足を放し窓を開けた。冷たい夜の風が吹き込んでくる。
胸ぐらを掴み、俺を立たせると左肩と左腕に手をかけた。
俺は右腕を高くあげ、それをそのまま叩き下ろす。
血しぶきが飛び、不意をつかれた山橋の懐に拳を沈め、
俺は耳打ちをしてやつを窓から突き落とした。

「俺の勝ちだ 相棒」



なあ ヤマハシ

俺の中にも黒の自分は存在したんだ。
だからお前は笑って死んだ。
仲間をみつけたから。
好きなことをやれたから。

一人じゃなかっただろう?

なあ ヤマハシ